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川手 鷹彦

川手鷹彦 プロフィール

藝術治療教育者・戯曲家・演出家・著述家

藝術・言語テラピー研究所「靑い丘」 主宰
一般財団法人《花の家》代表理事・筆頭講師

スイス・ドルナッハのゲーテアヌム言語造形・演劇藝術学校(スイス国家認定演劇単科大学)で言語造形術と演劇術を修める。在学中より同舞台アンサンブルの俳優に抜擢、その貢献に対し授業料免除措置を受け卒業。後、世阿弥・芭蕉・小泉八雲の作品をドイツ語で上演するなど演出家として異色の活動を続けながら、ドイツ・リューベック市郊外ブリーストルフ村の財団法人ハウス・アーリルドに勤務また訪問し、ドイツ語の言語精神に学んだ力を「心の保護を求める子どもたち」に言語教師として捧げる。

十二年間の欧州生活を終え、1993年帰国後は《伝承文化を教材にした「心の保護を求める子どもたち」への藝術教育》に献身する。
2000〜2002年、法務省保護局に「総指揮・演出」を委嘱された演劇プロジェクト「オイディプス」は社会に大きな反響を呼ぶ。
東京大学・立命館大学・早稲田大学・青山学院大学・沖縄キリスト教短期大学、等各地の大学で講義し、演劇・言語・治療教育の諸分野で次世代を陶冶。
創作者としても、戯曲・物語・歌曲・絵画を数多く生み出し、演出家・役者として日欧に通用する逸材である。
バリ島ではランダ舞手として2000〜2007年まで島の小村・ 寒村を巡り、ヒンドゥ儀礼の最奥を担う。
2012年5月8日、一般財団法人《花の家》を設立し代表理事に就任、年来の理想であった無償制の治療教育を実現する。
2013年12月沖縄県名護市の屋我地診療所(小野寺隆所長)の開業に伴い、同診療所内に治療教育外来を開設。
2013年春より中国各地に招聘される。2016年より本格的に、藝術教育者・治療教育者・教師育成プログラムを各地で展開する。

現在は、一般財団法人《花の家》で「心の保護を求める子どもたち」のための、木目細やかな藝術的空間を無償で提供していると同時に、精神性・藝術性があらゆる方面に求められる現代を生きる大人たちのためのプログラムを次々に提示している。

著書・翻訳書
『隠された子どもの叡知』
『心の傷を担う子どもたち(哲学者中村雄二郎との共著)』
『とらおおかみ、子どもらの心が生んだ物語』
『自閉症という体験』ドナ・ウィリアムズ著/川手翻訳 他

 
 

最新刊『「魔女ランダ」への道』( 一般財団法人《花の家》発行)は、必要とされる全ての方に無償でご提供しています。ご希望の方は、お問合せください。

※詳しい経歴は分野ごとのページに記載しております。


演劇分野

海外での演劇活動等

1985年スイス・ドルナッハの「ゲーテアヌム言語造形・演劇藝術学校(スイス国家認定演劇単科大学)」入学。
1987年作曲家ゴットハルト・キリアン等各国の音楽家・舞踊家・演劇家と「東西文化の出会い」を趣旨する藝術家集団“Blauer Hugel 青い丘”を結成し、以後同グループを主宰。
1989年上記校卒業、俳優術・朗唱術を修め、ゲーテアヌム舞台アンサンブル加入。
以後、多くの演出・出演作品が、海外また本邦でも上演されるようになる。
1989年ゲーテアヌム舞台アンサンブル制作・Georg Darvasch演出による仏革命二百年記念作品『世界をさすらう者』に出演し、ベルリンの壁崩壊後の旧東独を含む各地で上演。
同年秋ベルン市美術館にて日本大使館主催により、小泉八雲作『耳なし芳一の話』をドイツ語で朗唱。
1990年謡曲『井筒』のドイツ語上演を中心とした舞台『珍しき花』を演出。(ゲーテアヌム主催、日本大使館後援)
1998年デュッセルドルフ市・日本文化センター「恵光ハウス」に於ける日独二ヶ国語公演『宮澤賢治の世界』(ノヴァーリス学院・恵光ハウス共催、日本領事館後援)など、以後2007年まで賢治の作品を発表し続ける。
1999年前年の公演がベルン市日本大使館等、欧州各地で再演される。また狂言師二世野村与十郎(現在九世野村万蔵)、高安流大鼓方(おおつづみかた)佃良勝と、1999-2001 日独二ヶ国語公演プロジェクト「連咲花(つれさくはな)」を結成、謡曲『清経』の原典とドイツ語訳テキストを中核にした作品を日独瑞三ヶ国で舞台公演。ドイツ・スイス公演旅行は国際交流基金の助成を得る。
2010年4月スイスのドルナッハで「故Maria Jennyを偲ぶ会」を主催し、和歌を朗唱。聖痕の女性Judith von Halleが観劇に訪れ、その知遇を得る。
同年同月ドイツの高等学校とボッフム大学で演劇授業、日独二ヶ国語による書下ろし戯曲『銀河鉄道の車内幻想』を上演。尚、この作品は2012年9月に出演者来日の際、京都錦鱗館で再演される。

国内での演劇活動等

言語造形、朗唱、演出



講演・講義分野

外部教育機関からの招聘・講演依頼

東京大学・沖縄キリスト教短期大学での非常勤講師の他、早稲田大学・立命館大学等での藝術的授業が高く評価される。

2001年12月11日
青山学院大学にて治療教育についての講演会
2002年1月29日
・7月10日
山梨女子短期大学で治療教育についての授業
2002年5月23日
立命館大学にて講義と実演
2002年6月2日
「靑い丘」表参道学舎にて青山学院大学教授今井重孝との共同ゼミ
2004年6月18日
早稲田大学にてバリヒンドゥー教と魔女ランダの舞による村社会の治療について講義
2007年6月12日
早稲田大学にて魔女ランダについての講義
2007年9月
~2008年2月
東京大学教育学部の高学年と大学院生に向けて全十四回連続講義「治療教育と言語芸術」を実現、早稲田大学・中央大学・お茶の水女子大学を始め、各地諸団体より聴講生が殺到した。
2009年7月6日
京都錦鱗館にて、京都大学大学院教授西平直との共同ゼミ
2009年12月14日
岐阜県多治見市笠原中学校職員研修ワークショップ
2011年11月12日
新宿区内3校合同PTA講演会
2012年1月17日
長野県飯山北高等学校合同授業
2013年9月20日
岐阜県中津川市第一中学校障がい児学級及び保健室・校長室登校の子どもたちの治療教育についての指導と職員向け講演会
2014年4月より
中国の北京春之谷教員養成大学言語造形・演劇及び治療教育者養成プログラム立案者兼筆頭講師
2014年9月
中国の北京春之谷教員養成大学にてシュタイナー教員養成課程の授業「人智学の基礎」四講座を担当
2016年9月
春之谷教員養成大学にて二年間に亘った治療教育者養成コースの教授を終える
2016年11月
北京「得道龍北京得道龍華健康管理有限公司」にて治療教育を理解するための連続講義、及び五感覚研磨についての集中講義


藝術治療教育分野

日欧中で求められる治療教育

東京大学・沖縄キリスト教短期大学での非常勤講師の他、早稲田大学・立命館大学等での藝術的授業が高く評価される。

1990年ドイツ・リューベック市郊外のブリーストルフ村の治療教育施設「ハウス・アーリルド」に勤務し、自閉症・ダウン症・てんかん・非行等、多くの子どもたち・若者たちの心の保護に携わる。施設での治療教育活動の報告書簡は、『ブリーストルフ便り』として1991年岩波書店「へるめす」に連載される。
1993年帰国。本邦にて藝術・言語テラピー研究所「靑い丘」開設。
1996年母と子の学びの場「まるめろの木」開所。健常児・障害児を含めた藝術治療教育の実践開始。
1997年藝術・治療者養成のためのゼミナール「靑い丘・夜間學舎」開講。
2000年官公民の枠を取り払った「教育の有機的治療」プロジェクト提唱。その一環として法務省保護局よりの委嘱を受け、心に傷を持つ子どもたち・道を探す若者たちの演劇プロジェクト「オイディプス王」を開始、翌2001年は東京都八王子で、翌々2002年には東京都中野区で舞台公演を成功させ、大きな社会的反響を呼ぶ。中野区での演劇プロジェクトを含めた地域活動が、地道な更生保護活動に功績のあった個人や団体に贈られる「瀬戸山賞」を受賞。
2001年沖縄で、深い藝術性と認識力を養う「陽文舎」並びに「陽文舎公開講座」開講。
また同年秋には当地で、治療教育研究所「うーじぬふぁー」を開設。
2002年東京で「こころの保護を求める子どもたち」の専門クラス「蝶の羽」開始。
沖縄での理想的な施設建設へ向けて、社会福祉法人「うーじぬふぁー」設立準備会を発足。この社会福祉法人化は、沖縄県庁の協力もあり実現が期待されたが、自閉症・アスペルガー症候群の子どもたちの宿泊施設建設に対する建設予定地周辺住民の同意が得られず計画を断念。
2003年東京での活動拠点を表参道から品川新學舎へ移す。前出演劇プロジェクトの行政主導から市民活動への移行奨励に応え、思春期を迎える子どもたちと一流芸術家による演劇塾《銀河鉄道》を開講、以降 10 年間で 14 作品(下記諸戯曲より)に取組み、舞台公演を催し続けている。
2004年前出の演劇プロジェクトが、市民による実行委員会により岐阜県東濃地域で再開され、約七十名の子どもたちが参加。
翌2005年1月には当代一流の能楽師・芸術家・照明家等の協力を得て、多治見市での公演が実現する。
2006年北海道伊達市で演劇塾〈虎の縞〉が開設され、以降七年間で七作品に取り組み、舞台公演を実施。
同年より、青森県十和田市の社会福祉法人「北心会」に招かれ、以下の諸施設での治療教育に従事している。
社会福祉法人北心会小さな森保育園にて職員(保育士)研修としての、昔話及び演劇講習
社会福祉法人北心会フレンドリーホームモクモックにて利用者向けのわらべうた・物語ワークショップ
社会福祉法人北心会発達支援センターコスモスにて障がい児のためのわらべうた・昔話
社会福祉法人北心会クリエイティブサポートぷちぶろうにて利用者向けのわらべうた・昔話・演劇
2011年北海道伊達市に、子どもらのための日溜りの家「花の家」を置き、芸術活動に加えて小麦の古代種スペルト小麦によるパンの啓蒙と子どもたちとの共同製造のため、試作を開始。
同年3月から4月にかけて、東南アジアの諸国を巡りながら、東日本大震災と異国の地の伝説や風景が融合した物語を連作、そのひとつ『龍の寺』は多くの子どもたちに語られている。
各地で、母・教育者・語り手たちとの昔話共同研鑚活動「とらおおかみ」を展開。
2012年5月北海道、東京、沖縄の三研究所を統合し、一般財団法人《花の家》を設立、代表理事に就任。子どもたちに施す治療教育、わらべうた/物語活動、演劇・芸術教育を無償制にする。財団設立時評議員には、以下の諸賢が就任。
一般財団法人《花の家》設立時評議員
イルカ 国際自然保護連合初代親善大使、シンガーソングライター
大須賀るえ子 ウタリ(アイヌ)宮本イカシマトク酋長孫娘、
       ウタリ語教室講師
島本昌和 精神科医、常盤病院院長
高塚直裕 精神科医、ポロナイクリニック院長、
     北海道岩見沢児童相談所嘱託医、
     詩と藝術の館ポエティカ主宰
西平直 京都大学大学院教育学研究科教授
松山鮎子 大学教員
2014年春より中国各地に招聘される。
演劇藝術・物語・わらべうた・治療教育等、様々な分野で、戯曲 / 物語執筆・演出・教授等を行う。
爆発的に誕生する所謂「発達障害」の子どもたちに関する諸課題、即ち診断・医師へのアドバイス・父母家族 / 教師との相談・講演等の依頼が急増する。
2015年2月大分にて治療教育者養成コース(2年間)を開講
2016年中国で、本格的に、藝術教育者・治療教育者・教師育成プログラムを各地で展開する。
2016年9月治療教育者として集大成となる三つのプロジェクトを同時発足
2016年10月第一回研究報告会を開催 (10月15日北海道、10月16日京都、10月20日東京)

医療関係等

2000年6月6日
〜2004年2月19日
県立千葉高校夜間部に毎月通い、保健室にて養護教諭と協力し、生徒・教師へのカウンセリングを行う。
2002年6月18日習志野文化ホールにて、千葉県養護教諭会主催講演
2002年〜苫小牧植苗病院、長沼町ポロナイクリニックにて、講演会、対談及び、医師たちとの共同作業による治療教育
2009年11月8日大阪ワシントンホテルにて、医師・看護師等医療関係者のための講演会、自閉症を始めとする子どもらのために垣根を取払った大人たちの連携による治療教育が急務であることを説く。
2010年7月23日淀川キリスト教病院の小児病棟を訪れ、難病の子どもたちの藝術教育/テラピーの可能性を探る。
2010年11月14日前年度講演会好評による再招聘に応え、大阪梅田にてピアニスト福田直樹との講演&コンサート『バッハと自閉症』を開催。
2013年10月20日沖縄県名護市にて、治療教育についての講演会を行う。
2013年12月2日沖縄県名護市屋我地島に小野寺医院開業にあたり、治療教育外来が新設され川手が担当、本邦初の試みとなる。
2014年6月10日
・7月27日
・8月31日
・11月30日
名護市屋我地診療所にて治療教育についての講演会を行う。
2014年11月名護市屋我地診療所主催の演劇プログラムにて講師を務める。
2015年10〜11月昨年度に引き続き開催された名護市屋我地診療所主催の演劇プログラムにて再び講師を務める。
2016年4月23日
・5月21日
名護市屋我地診療所にて治療教育についての講演会を行う。

その他の分野

バリ - ヒンドゥ僧侶・ランダ舞手

1995年バリ島バングリ市郊外シラダンにて、師デワ・マデ・ライ・メシの立会いのもと、ブラフマーナ祭司ペダンダ・ニョマン・ライ・マヌアバより灌頂を受け得度する。
(僧侶名:I Gede Taka Darma Mesi)
2001年バリ島でバリ・ヒンドゥの中核を成す儀礼舞踊劇『チャロン・アラング』に於ける最重要の舞い手「魔女ランダ」として認知され、以降年に二度島内諸寺院のオダラン祭で上演、率いる一座は寒村小村を無償で巡り、経済的理由により開催困難なヒンドゥ教最奥儀礼のひとつを支える。
2007年タンバハン村にて最後の「ランダの舞」。舞い終えると同時に倒れ込む。同舞踊と『チャロナラン』劇、及びインタビュー・対談などで構成されたドキュメンタリーフィルムが壱岐紀仁によって撮影される。ランダ舞撮影とDVD制作は、国際交流基金によって助成され、同基金助成活動モデルケースのひとつとなる。
2013年ランダ舞に至る経緯、病に伏す顛末が書下ろされる。そして回復の途上に決意された「心の保護を求める子どもたち」のための財団設立と、篤志家の申し出による著書『「魔女ランダ」への道』の非売品としての出版が、実現する。

ルドルフ・シュタイナー、人智学関係

1977年教育哲学者でソクラテス/ペスタロッチ研究者の村井実(慶應義塾大学名誉教授)の門を叩き、プラトン著『饗宴』を学ぶ。氏による「美」の解説の中にシュタイナー教育やオイリュトミーが触れられた。後年、氏にシュタイナー神秘主義研究を勧められる。
1982年8月来日したドイツ・ シュトゥットガルト・シュタイナー学校英語教師クリストフ・ヤフケの諸講演(東京大学、麗澤大学等で実施)を通訳し、同氏からドイツ留学を勧められる。
1982年12月渡独。
1983年1月シュトゥットガルト自由ユーゲントゼミナールに入学、一年間の人智学入門コースに学ぶ。
1984年1月
〜3月
フランス・シュトラスブールのシュタイナー学校「聖ミカエル学校」の英語教師代理。同時に、併設された聖ミカエル幼稚園の教師アシスタントを勤める。
1984年9月スイス・ドルナッハの Schule für Sprachgestaltung und Dramatischer Kunst am Goetheanum(ゲーテ記念館付属言語造形と演劇芸術の学校)入学
最終学年(五年)時に、演出家 Georg Darvasch に見出され、ゲーテアヌム舞台アンサンブル・メンバーとなり、俳優として舞台興行・巡業に参加、その功労により、最終学年は特待生として授業料免除となる。
1985年最初のオイリュトミストのひとりマリア・イェニーと知り合い、イェニー家との親交が始まる。以降、マリアの亡夫ハンス・イェニーの優れた動物風景画を日本に紹介し続けている。
1989年秋ゲーテアヌム主催「日本文化を知る会」の実行委員となり、同時に平家琵琶奏者と小泉八雲作『耳なし芳一の話』をドイツ語で上演。
以後、数度にわたりゲーテアヌムで公演・授業を行う。
・宮澤賢治作『祭りの晩』を日独二ヶ国語で朗唱公演。
・俳句も含めた詩歌演劇の集中授業。
・能楽師大鼓方佃良勝・狂言師野村与十郎とともに、集中授業。
2001年
9月8日
ハンス・イェニー絵画作品の管理責任者に任命される。
2005年より、北海道伊達市の人智学共同体ひびきの村に招かれ、ミカエルカレッジにて授業。
2010
〜2011年
北海道いずみの学校高等部で演劇授業、ソフォクレス原作の『オイディプス王』『コロノスのオイディプス』を基にした創作劇を上演。
2011
〜2013年
人智学共同体ミカエルカレッジにて言語造形 / 演劇講座、以下の作品を上演する。
・2011年『龍の寺』
・2012年『蝉と少女』
・2013年『蟹の王子』

新聞記事より

2000年7月25日 教育医事新聞


2001年1月6日 毎日新聞


2002年1月1日 教育医事新聞


2004年7月30日 京都新聞





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